この記事は『北斗の拳』のシュウの最期のお話になります。
シュウはケンシロウの仲間となりますが、哀しい最期を迎えるキャラです。
どのような最期だったのか。
そこを掘り下げて書いてみようと思います。
シュウ~~~ッ!!
北斗の拳のシュウの最期とは?
時は乱世、『聖帝サウザー』という南斗聖拳の使い手が野望を抱き、世紀末覇者として君臨しようとしていました。
ケンシロウはそんな圧政を敷くサウザーに戦いを挑むも、敗れて深手を負ってしまいます。
シュウはケンシロウに代わってサウザーに戦いを挑みますが、シュウが救ってきた女・子供100人を人質に取られて脚の筋を切られ、敗北し、サウザーに捕らえられます。
そして、聖帝十字陵(せいていじゅうじりょう。ピラミッドのような形をし、サウザーの墓標として子供たちの手だけで作られている)へと連れてこられたシュウは、十字陵の頂上に置くための聖碑を担がされ、人質の子供100人の見守る中、一歩一歩十字陵を登っていきます。
心配そうに子供たちが見守りますが、シュウは「心配するでない…… この岩をお前たちの命と思えば重くはない」そう言って子供たちに微笑みかけ、何とか頂上にたどり着きます。
ケンシロウはシュウを救おうと駆けつけますが、シュウは「くるでない わたしはこの聖碑を積まねばならぬ この石は百人の人質の命 そして 南斗六聖拳の乱れを防ぐことのできなかったわたしの痛み!!」と言い放ち、ケンシロウの助けを拒みます。
その瞬間、数多くの矢がシュウの身体を貫きます。
耐えられず、ケンシロウはシュウの下へと十字陵を駆け上ります。
シュウは、「ケ…ケンよ…… どうやらわたしの命もここまで!!」「ひ…一目… 一目 見たかった お前の成長した姿を!!」とつぶやきます。
そして、ケンシロウがシュウにたどり着くや否やのところで、サウザーが放った槍がシュウの身体を貫きます。
けれど、最期の最期でシュウの目に光が戻り、シュウはケンシロウの姿を目に焼き付けることができます。
その瞬間、シュウは自分の人生における選択が正しかったことを確信するのでした。
シュウはケンシロウに、「ゆけ! ケンシロウ そして時代をひらけ!!」「わたしはいつもおまえを見ているぞ」と言い残すと、力尽き、聖碑に潰されて壮絶な最期を遂げます。
北斗の拳のシュウの息子の最期は?
北斗の拳のシュウの息子は、シバといいます。
まだ幼い子供ですが、その心には父親と同じ、仁の星が宿っています。
シバはサウザーに敗れ、深手を負い、捕らえられたケンシロウを牢の中から救い出します。
そうして小さな体でケンシロウを担ぎ、砂漠を越えてシュウのアジトまで戻ろうとしますが、途中でサウザーの部下たちに追いつかれそうになります。
シバは近くにあった岩陰にケンシロウを隠し、自らがおとりとなってケンシロウを逃がそうとします。
最期はダイナマイトによる自爆という、壮絶なものでした。
シバも父親と同じくケンシロウを信じていて、「わたしは父からずっと聞かされていました 聖帝サウザーを倒せるのはこの世でただひとり ケンシロウという男であることを!!」と、ケンシロウに伝えます。
北斗の拳のシュウはどうして目が見えないの?
北斗の拳のシュウは、目の見えない拳士です。
登場シーンでも自らを「盲目の闘将」と名乗っています。
これには理由があり、昔、「北斗」と「南斗」とで他流試合をした際にケンシロウが「南斗十人組手」に挑み、それを見ていたシュウはケンシロウの中に可能性を感じ、10人目の組手の相手に名乗りを上げ、ケンシロウを圧倒しました。
十人組手では、負けた相手はその場で殺されるのが掟ですが、シュウは自らの両目を潰してケンシロウの命を救う代償としたのです。
まとめ
以上、北斗の拳のシュウの最期について書いてみました。
シュウは本当の意味での善人であるなあと、しみじみと感じます。
親子ともどもケンシロウのことを命をかけて信じ、散っていってしまいますが、それに応えるのが主人公であるケンシロウの役目です。
『北斗の拳』では、こうした人間ドラマも見事に描き切っているように感じました。
コメント